茶の湯と町家 その室礼から学ぶインテリアの「和」と「洋」

 

講師  麻生圭子 氏

去る4月23日(日)にかねてからお知らせしていた麻生圭子さんの講演がは約90人の参加者を迎え盛況の終了しました。麻生さんの京都での生活のいろいろな話に参加者一同感心したり笑ったりの楽しいセミナーとなりました。当日麻生先生はこの日のテーマにふさわしい和服姿での登場でした。


はじめに麻生さんがどうして町家に住まわれるようになったかのいきさつから始まります。先生は町家に興味が有って町家を探したというわけではなく多分に建築家であるご主人の影響に依るもので有るとのお話でした。そしてどうせ町家に住むのであれば現代の快適な住設備を持ち込まずなるべく昔ながらの生活をしようと思われた訳です。

その象徴的なものがエアコンの不採用です。京都という地は盆地ですから夏の暑さは想像以上の厚さらしいのですがそこであえてエアコンを使わず生活してみようと言うわけです。
やはり暑いそうです。しかも容赦のない蚊の攻撃でかなり大変。しかしそんなそぶりも見せず涼しげに暮らすのが麻生流。着物もやはり暑いのだけれど涼しげに見えるからそこをぐっと我慢して着るのだそうです。もっとも普段の生活、買い物や、家の中では洋服で過ごしているとのこと。

京都での暮らしで廻りとのやりとりの話も興味をそそられました。ときどき耳にするあのぶぶ漬け(お茶漬けのこと)の話もなさいました。話をしていてそろそろかえってもらいたいナーと思った時に「ぶぶ漬けでもどうですか」と切り出すわけです。そうすると客は「あっもうこんな時間ですか、そろそろ失礼します。」となります。間違ってもここで「そうですかそれでは遠慮無く」なんてことは言ってはいけないとのこと。なにしろ実はご飯が無いなんて事もあるわけですから。
またご飯をいただいていてのお代わりも1回だけ。一度お代わりをしてさらに「もう一杯どうですかと」くるわけですがここでも「そうですか、それではお言葉に甘えて」などはこれも間違っても言ってはいけないのだそうです。

狭い盆地の中で隣人とうまく暮らしていくためにはなるべく角が立たないようなテクニックを知らず知らずのうちに編み出したのかもしれません。京都に限らずそういった婉曲的なやりとりが私たちの生活の中にもいろいろと有ったような気がしますがいつの間にか「はっきり言う」ことが良しといった風潮になっているのに気づかされます。海外とのやりとりでは確かに必要なんでしょうが日々の生活では殺伐とした社会を作り出している一因のような気もします。

これも生活の一場面でのお話でしたが「お見送りは客人が角を曲がるまで」という話をされました。お客さんが帰られる時見送るのですがそれはお客さんが角を曲がって見えなくなるまで見送っているのが基本とのこと。じゃあ曲がり角が無かったらどうするか?客は途中で振り向いて「ありがとうございます。もう結構ですから」と挨拶するわけです。こんな事も京都に限らずどこにでも有った光景ですが近頃はどうなんでしょう。マニュアル本の中の話でしょうか。
 
少し話が進んだ後プロジェクターで写真を見せてくださいました。確か杉本家だったように思います。年会費1万円で何度か見学できるそうです。でその通りに面した構えが非常に低いスケールで構成されていて、敷地が1000坪とおしゃっていましたがとてもそうは見えず廻りと同じようなスケールで出来ていました。こんな所も前記の人間関係の妙ともいえるやり方に共通しているものが有るのかもしれません。

京都人気質として非常に当たりは柔らかいけれども頑固でみんな京都人としてのプライドを持って暮らしているという意味の事もおしゃっておられました。
「京都としての流儀を通す」ことが熟成した文化を創り上げたのかナーなどと思いました。インテリアコーディネートの世界もとても流れが早く日々勉強していないと取り残されてしまいそうな不安を覚えますが片方では変わらない自分の流儀にも磨きをかけねばなどと感じたセミナーでした。

記:藤嶋和義